野球じゃないほうの野球
「YAQUE(ヤキュー)」

  • facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • RSS
  • HOME

  • お役立ち

  • #06 『男たちの挽歌』【ノーパン映画レビュー】

#06 『男たちの挽歌』【ノーパン映画レビュー】

#06 『男たちの挽歌』【ノーパン映画レビュー】

連載
崖っぷちパラシュートガールのノーパン映画レビュー

 

あなたの1いいね!で崖っぷちガールの記事がもっと世界に広まります!よろしくお願いします!

 

 

 

 


 

映画『男たちの挽歌』

—運命と闘え。—

英雄本色/ A Better Tomorrow(1986・香港)

 

こんにちは。

“崖っぷちパラシュート・ガール”
本部 萌です。

 

ありがたいことに今年から映画・音楽ともに野球関連以外の作品も取り上げさせていただけることになりましたので、さっそく野球要素ゼロな「香港マフィア映画」の草分けにして金字塔の大傑作、1986年の『男たちの挽歌(原題:英雄本色)』をご紹介いたします。

 

この作品を観ないことには香港映画を語ってはいけない。それくらい世界の映画史において重要な、これまでも散々レビューされ尽くされている作品ですが、

せっかくこのような機会を頂けたのでまず真っ先に書きたいと思った映画でした。

自分の人生で三本の指(どれもベストワン)に入る最強映画。

そして俳優の演技、脚本、演出すべてにおいて一切ムダがない、まさしく完璧な、映画作りの教科書のような映画。

つまりこの映画をきっかけに幾多のフォロワーを生み出したってことです。

クエンティン・タランティーノがフォロワー公言してるのは有名よね。

 

 

この映画が公開された1986年当時、香港は返還問題に揺れてて不安定な状況でした。

 

だからその空気を払拭するかのように、ブルース・リーにお笑い要素を足したと言えるジャッキー・チェンはもちろんのこと、他にもMr.Boo!キョンシーに代表されるコメディ映画ばかりが主流であったのです。『男たちの挽歌』はそんな香港映画界に新風を吹き込み、「香港ノワール」と呼ばれる新たなジャンルを確立した映画として現在も語り継がれております。

 

 

 

そうです、かの有名な『インファナル・アフェア』(2002)も、この映画なくしては生まれていなかったんですよ。

 

 

 

まず「香港ノワール」とかいう呼称についてちょっとだけ

 

ところでこの「香港ノワール」という言葉、これ実は日本の配給会社が勝手につけた呼び名でして、実際のとこ全然的を得ていないのですよ。

つまりは「香港製のフィルム・ノワール」と言いたいらしいのですが、

「フィルム・ノワール」と一般に呼ばれた40~50年代アメリカの暗黒映画(ジョン・ヒューストン監督『マルタの鷹』(1941)とかオーソン・ウェルズ監督『黒い罠』(1958)が代表例)に共通して見られる演出っつうのが全くもってありません。

ナレーションの役割を持つ主人公のひとり語りも無し、ファム・ファタール美(悪)女が男を誘惑するシーンだって当然ありません!!

というか女人禁制。これについては後程くわしく。

 

対して地元香港では、「香港ノワール」の代わりにこうしたヤクザ映画のことを本作の原題『英雄本色』から取って「英雄片」と呼んでいるようです。「片」は中国語で「映画」の意味ね。

「ノワール」ってのはフランス語で「黒」を意味するんですけど、日本でこの言葉を使ったのはきっと「ヤクザの黒社会を描いた映画」と言いたかったんでしょうね。

その前に「フィルム・ノワール」の意味を履き違えてるっつうね。

 

ちなみに原題の『英雄本色』は直訳すると「英雄の真の姿」。

それっぽく言うと「英雄とは」とか「英雄のプライド」とかそんなニュアンスです。

 

 

実は映画のキモはアクションじゃない        

 

てことで細かいうんちくはこの辺にして本作の論評(←)に参ります。

オタク魂を胸に。

 

本作の公開当時いちばんの見所と評価されたのは、その画期的なガンアクションと撮影手法でした。

というか今だにこればっかりが多く論じられておりますね。

いちばん有名なのがチョウ・ユンファの二丁拳銃乱れ撃ち(のちにユンファ撃ちと称される)と、アクションシーンにおけるスローモーションの多用、そしてラストの港における壮絶な銃撃戦と爆破シーン。

確かにね、そのスケール、スタイルの斬新さ、すべて折り紙付きなんですよ。

確かに、その辺の「カッコよさ」が多くのフォロワーを生んだ最たる要因であることは事実なのですよ。

なぜなら完璧な形式美で真似しやすいから。

真似しやすく、また真似したくなることをやるから画期的なんですね。

現にこれ以後たくさんの映画で引用されてます。

ちなみに本作における俳優たちのガンアクションの演出が生まれた背景というのがね、驚くべきことに他のアクション映画からの影響(『ワイルドバンチ』とか)に加え、主としてジョン・ウー監督の趣味であるダンスから着想を得ているんですね。

どうりで華麗極まりないわけであります。それ故にジョン・ウーは映画界において「バイオレンスの詩人」と謳われているのです。

詩人ですよ、詩人。

アクションをアートに昇華しちゃったのね。

 

しかしです。このガンアクションに見られるような形作られた「カッコよさ」以上にですね、

私がこの映画を語るうえで欠かせない、というか最早それこそ本作の真髄であると強く考えることがひとつありまして。

 

それはこの映画が、

限りなくホモセクシュアルをプンプン匂わせるホモソーシャル映画である

ということなのでございます。

 

これは一般的にはあまり語られていない見解だと思いますので、

今回は主にこの焦点に絞ってレヴューしていきます。

 

 

 

物語のあらすじは言わずと知れておりますが、未見の方もいらっしゃると思いますので、簡単に。

 

 

香港マフィアの幹部、ホー(ティ・ロン)は闘病中の父と学生である弟キット(レスリー・チャン)の面倒を見ていたが、弟が警官になる希望を持っていることで病床の父から足を洗うよう頼まれる。了解したホーは、次回の台湾への贋札の取り引きを最後に、闇社会から足を洗おうと決意する。しかし、取り引きは密告によって警察に知られており、同行した後輩シン(レイ・チーホン)を逃し、ホーは自首することになる。その間、香港では父が陰謀によって殺され、そのことでキットは尊敬する兄が香港マフィアと知る。一方、ホーの親友マーク(チョウ・ユンファ)は報復のために乗り込んだレストランで敵を皆殺しにしたものの、足を負傷するというアクシデントに見舞われる。

数年後、ホーは出所するが、今では警察官となったキットから、父親の死の責任とマフィアの兄を持つことから出世の出来ない不満をぶつけられた上に追い出され、親友マークは怪我で自由の利かない体になったことから雑用以下の扱いを受けるほど落ちぶれていた。そして元は後輩だったシンがマフィアで権力を握るようになっていた。

ホーは弟と和解するためにも堅気となり、穏やかに暮らそうとするが、周りはそんな彼を放ってはおかなかった。マークは現状を変えるために協力を求め、シンも自分に力を貸すよう強要する。しかしシンは自分の敵となる人物たちの粛清を始め、その手始めに組長のユーが殺された。現状を知ったホーは弟との絆、親友との友情のためにマークと共に銃を手に取る。

(出典:Wikipedia, 一部デコレーション)

 

 

男たちの挽歌 デジタル・リマスター版 [レンタル落ち]

左からレスリー・チャン、ティ・ロン、チョウ・ユンファ

 

 

ホモソーシャルの輪

 

初めに申し上げておくとこの作品は三人の男の仁義を超えた愛憎の物語であります。

これに尽きると言っていいでしょう。

よって事実上はティ・ロン演じるホーを中心に描かれておりますが、彼の弟キット、そしてホーの義兄弟ともいうべき弟分マーク、この三人いずれも主人公とみて相違ありません。

そしてこうしたヤクザ映画の面白いところがですね、実際は家族でもなんでもない義兄弟の絆ってのが、肉親のつながりを超えてしまうところにあるんですね。

そこで三人の中心にいるホーが、二人の男の間で板挟みにあってしまうのです。

男性間の三角関係ですね。

 

しかしその三角関係というのが、きれいな正三角形でもなければ二等辺三角形でもない。

それは同性愛を描く映画において水面下に存在する“ホモソーシャルの輪”というものに縛られているからなのです。

この“ホモソーシャルの輪”は極めてモノガミーで、二人の人間の間でしか成立しないんですね。

そしてその“輪”から解脱するには、必ず「死」をもってしか抜け出せない、という暗黙のルールがあるのでございます。

 

最初ホーとキットはたいへん仲のよい兄弟でした。

しかし兄貴が極道だと知ってしまったキットは、兄弟の絆を切ろうとするのです。

ところがマークはといえば、部内の密告によって裏切られたホーのために、自らの体の自由を犠牲にしてまでも彼との絆を守ろうとする。

非常に美しい“ホモソーシャルの輪”が、ホーとマークを取り囲んでいるのです。

 

つかそもそも序盤からこの二人、え、まじで?って思うほどやたらイチャイチャしててですね、いや決していやらしい目で見てるわけじゃなくね、まっすぐな視点で見てもですよ、どことないホモホモしさがありまして、この映画が同性愛を描いていることを分かりやすく示唆してきてますね(笑)。

まだ二人が頂点にいたころ、いかにも幸せいっぱいな、俺たちの時代って感じで実に微笑ましい。

ついでに言うと監督のジョン・ウーも実はゲイだという話を評論家の教授から聞いたことあります。たぶんカミングアウトしてないと思うから、噂ってことで。

 

話を戻します。

ラスト、シンと対峙する銃撃戦。

ここで“ホモソーシャルの輪”は入れ替えられることになります。

 

シンへの復讐として組織の内部事情を警察に密告し、彼を港に呼び寄せたホーとマーク。

シンを追うキットも彼を逮捕するために二人のもとに走っていくんですが、

そこでマークが負傷したホーの姿を無理やりキットに見せて、彼を思いっきり諭すという、観る人の胸を搔きむしるような涙もののシーンがあります。

マークがキットの頭をがしっと掴み、

「見ろ、お前の兄貴だ。過去の過ちは十分償っただろ?その勇気をなぜ受け止めない?!」

って叫ぶんです。

そして言葉を続けるマーク。「兄弟ってのはな・・・」

そのときマークの頭に銃弾が一発。顔いっぱいに返り血を浴びるキット。

さらに何十発もの銃弾がマークの体に浴びせかかり、彼は死に倒れます。

まるで『ボニー&クライド』の死のバレエみたいに、銃声とともに舞いながら倒れるんです。

 

 

自らの誇りを取り戻すため、そしてホーへの愛のため、過酷な運命と最後まで闘ったマークは、無残にも彼を裏切ったシンの手によって殺されてしまったのです。

しかしその最期は、まさしくこの映画のキャッチコピーのように「恥に生きるより、熱く死んだ」男の姿なのでした。

余談ですがマークのこうした人物描写が、観客の“ユンファ熱”に火をつけたんでしょうね。

 

マークの亡骸を抱き唇を噛みしめるホーとキットは、「チクショォォォオオオオ!!!」という叫びとともにシンを追いかける。

関係の絶たれていた兄弟が、シンを討つという共通の目的のために共に立ち上がった瞬間。

皮肉にもマークの死によって二人は絆を取り戻したのです。

二人で思いっきり叫びながら銃を片手に同じ方向に走っていく様に心を燃やしてしまうですよ。小津安二郎もよく言ってたけど「同じ動作をする二人」ってのはつながりを強調する演出なんですよねぇ。

 

そしてついに警察に完全に包囲された彼らは、金を積んで釈放されることを目ろみ自首に向かうシンを背後から撃ち殺します。しかもキットから手渡された銃で、ホーが引き金を引く形で。

そしてホーはキットのポケットから手錠をとりだし自分の腕にかけるのです。止めようとするキットをよそに「俺は間違ってた。お前が正しいんだ。今からやり直すよ」と弟に語りかける兄貴。

 

こうしてマークが死んだことでホーを中心に取り巻く“ホモソーシャルの輪”は新しくキットが入ることで完結されるのです。

「っつっても肉親じゃん」て話なんすけど、しかしですね、それを暗示する究極のメタファーがまさにこの映画のラストシーンで描かれているんですね。

 

 

血のつながりとかじゃないんです

 

p_no-pan_06_600_01

自前でごめん

 

二人並んで同方向に歩いていく後姿。映画演出でこれは異性間だと肩を寄せ合って歩くくらいの繋がりの強さを表しているんだけども、よく見るとこれ二人をつないでいるのは一つの手錠です。

これはもちろんストーリーとして自然な流れだし、最後にふたり一緒に自首してやり直すって未来を示しているんですよ。

ですがしかしこれ実に絵画的なラストシーンでして、これが示しているのはつまり「この映画が同性愛を描いたものである」という、同性愛讃歌とも取れるメッセージを水面下に伝えているのだと考えられるのです。

 

ほら手錠って「束縛」とかも意味するわけじゃないですか。

それが転じて「愛する者同士だという証明」になったり。

私外国にいたときチラホラ見かけたんですけど、レズビアンの二人が外で普通に手錠つなげて歩いてたりとかね。手つなぐだけじゃ足りないのかなぁって思ったけど。

いずれにせよ手錠というのはフェティッシュな意味合いを含んだアイテムとして描かれるわけなんですね。

 

さらにこのシーンでつながれているのは自首しに向かう兄弟ですから、彼らが「運命共同体」である、ということも見て取れる。

そうです、ホモソーシャル映画ってのはつまり「運命を共にする男(女)たち」を描くものなんです。

 

 

神は人間さ

 

そう考えるとマークの最期のセリフ、「兄弟ってのはな・・・」に続く言葉、結局聞けないまま彼は死んでしまったので、自分なりにその次を考えてはみるんだけどもうこれ40回は観てるのにいまだに分からないんですよ。

けどやっぱり、血のつながった兄弟であれ、つながらない義兄弟であれね、

兄弟とは「どこまでも運命を共にしていく覚悟」なのではないかと。

そしてこの映画の三人は、過酷な運命に苛まれながらもそれを受け入れることなく、最後は共に闘った男たちなのです。

 

警官である自分と正反対の道を歩いていた兄を知り、残酷な宿命に苦しむキット。

組織の頂点から雑用以下に落ちぶれながらも、「欲しいのは権力じゃない、失ったものを取り戻したいだけなんだ」と言ってホーと巻き返しの時を待ち続けるマーク。

そして二人の間でジレンマに陥るホー。

 

映画の中でこれぞまさしく「英雄本色」と思えるマークのセリフがあります。

「神を信じるか?」というホーの言葉に、

「ああ、俺が神だ。神は人間さ。運命を自分で決めるやつはな」と言うんです。

 

どれだけ過酷な運命に苦しめられても、それに甘んじて屈さず、ただ自分のプライドと信じるものだけを胸に、命を削って生きる。

 

それが真の英雄の姿なのです。

 

神は自分の中にいます。

誰でも、神にだって英雄にだってなれる。

運命と闘うやつはな!!!!!!!!!!!!!!

 

愛と勇気だけが友達。やなせたかしは正しい。

 

 

運命なんて自分で決めるのです。

それが生きるということ。

 

 

では、また次回。

男たちの挽歌(字幕版)

映画 それいけ!アンパンマン ブラックノーズと魔法の歌

 

 


 

あなたの1いいね!で崖っぷちガールの記事がもっと世界に広まります!よろしくお願いします!

 

 

 

 

 

執筆者プロフィール

p_prof_moemotobu_600

執筆者:本部 萌

1990年12月26日 沖縄生まれ。東京育ち。
159センチ
スリーサイズ: B70, W55, H90

■活動内容
2013年明治学院大学文学部芸術学科映像芸術学専攻を卒業後、小劇場をメインに下積み女優活動を展開中。アローズプロ所属。
休みの日には映画館と自宅で年間約300本の映画を鑑賞するほぼ引きこもり生活を送る、「映画と結婚した独身専業主婦」。
たまに出るDJイベントでは60〜80年代の洋楽チューンを担当、特に80年代ニューロマンティックをこよなく愛する。
ヤクルトスワローズのマスコットキャラクター「つば九郎」のフォルムと毒気に惚れ込み、シータの如く神宮球場の空から舞い降りてつば九郎の頭にスカートを被せたい密やかな夢を抱いているが、野球そのものに関しては1チームが何人構成かも知らないくらいの知識。
阿佐ケ谷のミニシアター“ユジク阿佐ケ谷”、新宿ゴールデン街のロックバー“Happy”、野球バー“ぺんぎん村”で働く。

facebook: 本部萌facebook
Twitter: 本部萌Twitter

今週のイベント情報

1週間以内

2014/12/01

19:00~21:00

審判のポーズ練習会 in 代々木講演

記事タイトル

〒151-0052 渋谷区代々木神園町2-1

MAP

自分でやってみることで、審判の大変さを知るイベントです。自分でやってみることで審判の大変さを知るイベントです。

主催:スポーチュア

1週間以内

2014/12/01

19:00~21:00

審判のポーズ練習会 in 代々木講演

記事タイトル

〒151-0052 渋谷区代々木神園町2-1

MAP

自分でやってみることで、審判の大変さを知るイベントです。

野球じゃないほうの野球「YAQUE(ヤキュー)」のお役立ちカテゴリの#06 『男たちの挽歌』【ノーパン映画レビュー】記事のページです。休みの日には映画館と自宅で年間約300本の映画を鑑賞するほぼ引きこもり生活を送る、「映画と結婚した独身専業主婦」。が送る野球映画レビュー。

ページトップへ戻る

野球データベース 野球データベース

野球データベース

最終更新
07/28

日本野球機構(NPB)

YAQUE(ヤキュー)

記事・コラムカテゴリ一覧 記事・コラムカテゴリ一覧

記事・コラムカテゴリ一覧