#10 『アシク・ケリブ』Ashik Kerib【ノーパン映画レビュー】
- 投稿日:2017/04/13 22:27
- 更新日:2017/04/13 23:19
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崖っぷちパラシュートガールのノーパン映画レビュー
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映画『アシク・ケリブ』
パラジャーノフ入門編はこれだ!!
…でも食卓では観ちゃいけない、食欲圧倒の映像世界。
Ashik Kerib (1988・ソ連)
こんにちは
“崖っぷちパラシュート・ガール“
本部 萌です
ようやっと春らしい陽気に包まれ始めましたね
という訳で少々気が早いですが、ここは時代の先をゆく女。
すでに夏気分を堪能しているわたくしであります。
桜なんぞ眺めている暇はありません
ぽかぽかの太陽。清々しい水風呂の似合う季節。
蛇口から轟々と流れ出す冷たいシャワー。
その修業は、ガスがもたらす嘘っぱちの温かさなんかとは違う、自然の水が持つ変わらぬ温かみを教えてくれるのです
かくも小さなバスタブの中で自然と同化した私は、まるで満点の太陽の下、ナイアガラのしぶきを浴びて輝く虹の柱の気持ちを味わいました。
大自然の水に打たれれば打たれる程、心は悟りへと歩んでいき
豊かさを増していき
不思議と温かい気持ちに満たされるのです
体内の発熱とともに。
おまけに外はこんなにいい天気
ああ素晴らしき哉、ありがとう自然!!
というわけで今回は、そんな有り難き大自然とともに悠々と生きるグルジアの吟遊詩人を描いた映画、
セルゲイ・パラジャーノフ監督の遺作『アシク・ケリブ』(1988)についてお話します
てか、このWEBマガジンで紹介するにはあまりにも世界がかけ離れていて私なんかが説明していいんだろうかという戸惑いが隠しきれないんですが。
まあいいや。ちなみに私はパラジャーノフ大好きな訳ではないのでパラジャーノフ信者の方はぜひとも読まないでください。
今回はパラジャーノフの存在は知ってるけどまだ観たことないよぉ面白いのかなぁ?って人向けにかいた解説ですので悪しからず。(実際なかなか観ることができない監督なんです。涙。)
というのもこのセルゲイ・パラジャーノフという旧ソ連グルジア(現在のジョージア)出身の映画監督は、名だたる映画人たちからめちゃくちゃ崇拝されてる、いわゆる「巨匠」なんですけど
(ちなみに彼の作品で最も広く知られているのは『火の馬』(1964)と『ざくろの色』(1971)ってやつ)
世界の映画史を総括して見ても、個人的にここまで観客を戸惑わせる監督も他にいないんじゃないかというくらい、本当に困っちゃう監督なのでございます。
何が困っちゃうかって、例えばある映画を観てその感想を話し合いましょうみたいになったときに、彼の作品は予備知識なしに観ると必ずと言っていいほど「映画を観た」感想として喋ることが絶対にできないんですよ!
パラジャーノフって名前だけ知ってるっつって観たことある感装ってかっこつけて誰かと見たら必ず痛い目にあうんだよね。
なぜなら、我々が普通に「映画」と聞いてイメージする物語性だとか、俳優の演技だとか、カメラワークとか、そういった基本的な映画的要素が全く皆無であるのです。
世界にはパゾリーニだとかアンゲロプロスだとかウォーターズ(これはかなりネタ要員だけど)だとか、それぞれ別の意味で観客を困らせるヤバい監督はごまんといるのだけれど、しかしどんなにヤバくても彼らの作品は映画以上の何物でもない。むしろとっても映画らしい。
だからちゃんと観客に何かを感じさせてくれるのですよ。
でもパラジャーノフさんの作品はね、そもそもこの方に映画的な概念はないんじゃないかと思いますね。
初めて観たら何も感じないから、みんな必ず寝る。二回目も三回目も寝る。
四回目でやっと睡魔と闘いながら謎解きをし始める、みたいな。
ただ「謎解き」と言ったけれどもしかし、彼の作品はいわゆる難解な映画ではありません。ゴダールやなんかと違って鼻につく反体制の知識人気取りをしているわけでもありません。
というか、観客たちが勝手に彼のことを難解な芸術映画を作る人だというイメージを作り上げたような気がしてなりません。
パラジャーノフ映画は事実分かりづらいけれども、実はやっていることはいたってシンプルなのです。
彼の表現というのは、映像を絵画として見せるというスタイルなんですね。
つまりどういうことかというと、ほぼ全てのショットが真正面からのカメラで撮られていて、同時にキラッキラした鮮やかな色のグルジア民族衣装と絶妙な小道具の配置で、ものすごい映像美を見せてくるんですよ。
でもセリフでストーリーを説明するわけでもなし、ただ聴こえてくるのは絶え間なく続くBGMの民族音楽だけなんです。だから観ているほうは絵画の中のひとが動いてるという不思議な感覚に陥るのです。
絵画って言葉がないから、我々も美術館やなんかで絵の前でじっと立ち止まりながらこの絵は何を意味しているんだろうとか考えるわけじゃないですか。完全にあれと同じ観方をさせてくるんですね。
でも考えているうちに画面が切り替わるので観客は一向に答えが見つからないまま途中から思考停止して眠りの状態に入るって訳なのです。
ちなみに先述のゴダールが中期以降の作品で分かりやすくこの手法を真似てるんです。
とはいえ彼は映画全体として言葉が多いので(元々ライターだしね)頭でっかちに終わってると私は思いますから、パラジャーノフの表現と比べること自体がナンセンスだね。
でもゴダール初期の『勝手にしやがれ』(1959)と『気狂(ちが)いピエロ』(1965)だけは死ぬ前に誰もが観なくてはいけないほど傑作なので観てない人は今すぐみてください。
では前置きはこの辺にして映画『アシク・ケリブ』のお話をしましょう。
この作品はパラジャーノフ入門編としてはいちばん最適な作品です。というのも、かろうじて物語映画として成り立っているからなのであります。
まあ例によってまともにストーリー追ってないんですけどね。
簡単なあらすじはこんな感じ。
若き吟遊詩人アシク・ケリブは、相思相愛の婚約者がいながらも、貧乏であることを理由に彼女の父親から門前払いを喰らいます。
じゃあ金持ちになればいいんだなっつって彼は無鉄砲にも1000日間の出稼ぎの旅に出ます。旅先の結婚式とかで歌ってお金を稼ぐんですね。途中、同じ村の悪い奴に本人の知らないうちにケリブ死亡説を流されて、ケリブのお母ちゃんはショックのあまり失明するわ、婚約者は毒を飲んで自殺しようとするわのてんやわんやがありますが、
そんなことつゆ知らずのケリブは見知らぬ詩人の最期を看取っちゃってそのままお葬式ボランティアやったり、客先のお偉いさんの怒りを買ってマシンガンぶっ放されたり、色んな珍道中を経験します。
そして大人になってお金も稼いだケリブは村に戻り、お母ちゃんの目も治してあげて(息子の歌を聴くと治るらしい)、彼の帰りを信じて自殺を思いとどまった婚約者とも無事に結婚できたのでした。めでたしめでたし。
基本の物語はこれだけです。作中ほとんどの時間はパラジャーノフのお絵かきです(笑)。
でも彼にしてはだいぶ物語部分に時間割いたほうなんですよ。
しかも延々と流れる荘厳な音楽と圧巻の映像美のおかげで分かりづらいんですが、この映画って完全にコメディなんですね。信者の方が聞いたら怒るでしょうけど。だから映画館じゃ笑いを堪えないといけません。まあ爆笑するような類のものじゃないんですけどね…
しかも人間の不幸を障害で表現する箇所がかなーりあって、ギリシャ演劇みたいなブラックさすら感じますよ。
実はこの映画を撮影する5年ほど前まで、パラジャーノフはソ連政府からその作風が反体制の危険分子だと目されて不当にも15年間投獄され、過酷な強制労働を強いられた過去があるんですね。
旧ソ連は国を挙げて映画技術の発展に力を注いでいて、レーニンの鶴の一声で国立映画学校を作ったくらい、映画が国家事業だったんです。
しかしそれは政府のプロパガンダ映画を作らせるため、という目的があったのですよ。
となると、旧ソ連の映画監督というのは、技術は先進的でも、表現の自由が無かったということでして。
ちょっとでも誤解を招くことをするとすぐお縄になっちゃてたので、それまで十字架とか白い鳩とか性的表現とかを好んで映像に盛り込んでたパラジャーノフはとりわけ政府から目をつけられてたのですね。
しかも数回にわたって投獄されてるので、彼がわざわざ反体制表現を分かりやすく組み込んだとは思えないんですけども。
そして不遇の獄中生活を送りなんとか釈放され、80年代後半に入り時代はペレストロイカを迎えるのです。
そうしてやっと表現にも幅がきき始めたころの作品がこの『アシク・ケリブ』というわけなんですね。
どうりで前作品たちより開放感のある映画になってるんですね。背景のタペストリーと異様なコントラストをなすマシンガンの暴力性だったり、「苦難を超えた先の自由」を強調するストーリーであったり、ちゃんとお祈りできなくても頑張ってたら最終的に神の許しを得られたケリブのラストシーンだったり
そんなこれまでのパラジャーノフからは想像できないような新しい試みにあふれている映画なのです。
ところでパラジャーノフの映画は絵画だと散々書きましたけども
この方はもともと映画監督である以上に画家であり工芸家でもあるんですよ。
そしてその色彩感覚というのが、優れているだけでなくかなり独特で、まずは絵画のスライドショーを見るような感覚で臨んでいただけると純粋にとても楽しめます。
だって、血のように赤い衣装を着たケリブの背景にチョコミントのミント部分の色のでっかい扉が画面いっぱいにあるんですよ。
これ、完全に血糊ソースのチョコミントアイスですからね。
もう本当に、彼の色彩はぶっ飛びすぎてて、ゴハン食べながら見てると確実に吐き気催しますから。実際、圧巻なんですけど、ゴハン食べながらだと話は別です。
チョコミントアイス大好物なのに食べられなくなったもん私。
いや、買うときフラッシュバックする。うん。
まあ色彩もそうですけど、あの特徴的な真正面からの“絵画ショット”をとっても、彼の作風にはノウハウに囚われないいい意味での「無邪気さ」とか「初々しさ」を感じるのは私だけでしょうか。
だって、ちゃんとモスクワの映画学校行って、タルコフスキーとかと一緒に映画作ってた人なのに、彼の映画には技巧的なにおいが一切しないのですよ。
それは誰にも真似できない無二の映像表現なのです。だからもっともっと自由に映画を作れる環境にパラジャーノフがいたら、いったい彼の作風はどれくらい変わっていたんだろうかとか、
あとモノクロの時代に生きていたら、評価は違ったんだろうか…とかね、
いろんな想像をさせてくれる、面白い監督なんですよねぇ。
まあ、最初は絶対に寝ますけど。
しかしパラジャーノフほど新鮮な映像体験をくれる監督はまずいないので、
こういう映画もあったのかというアハ体験として。
そして「映画の見方」を能動的に考えてみるきっかけとして、
この解説がみなさまのお役に立てたら幸いでございます。
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執筆者プロフィール
執筆者:本部 萌
1990年12月26日 沖縄生まれ。東京育ち。
159センチ
スリーサイズ: B70, W55, H90
■活動内容
2013年明治学院大学文学部芸術学科映像芸術学専攻を卒業後、小劇場をメインに下積み女優活動を展開中。アローズプロ所属。
休みの日には映画館と自宅で年間約300本の映画を鑑賞するほぼ引きこもり生活を送る、「映画と結婚した独身専業主婦」。
たまに出るDJイベントでは60〜80年代の洋楽チューンを担当、特に80年代ニューロマンティックをこよなく愛する。
ヤクルトスワローズのマスコットキャラクター「つば九郎」のフォルムと毒気に惚れ込み、シータの如く神宮球場の空から舞い降りてつば九郎の頭にスカートを被せたい密やかな夢を抱いているが、野球そのものに関しては1チームが何人構成かも知らないくらいの知識。
阿佐ケ谷のミニシアター“ユジク阿佐ケ谷”、新宿ゴールデン街のロックバー“Happy”、野球バー“ぺんぎん村”で働く。
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